五毛の地車は現在の東大阪市【稲田八幡宮】で1906年に新調され、1932年五毛地区に譲り受け、「外ゴマ」への改造、「山形提灯」の追加、「飾り幕」の改修を行い現在の姿と成りました。
1988年に現在の地車保存会である【五毛御燈会】が発足、継承し、毎月五月二日、三日の氏神様【河内国魂神社】春季大祭において、摩耶山麓の急で長い地獄坂を「囃子」に合わせ、大人子供百数十名の「曳き手」の掛け声と共に勇壮且つ楽しい巡行を行なっております。
篠原地区だんじりは「六甲の弁天さん」として地域に親しまれている篠原厳島神社の境内に保管されている。
だんじりは明治時代に始まり、現在は3代目で昭和7年に新調。平成18年に大改修を行い、現在の姿になった。全長6.8m、幅2.8m、高さ4.2m、重さ約4tで灘区一の大きさを誇る。迫力ある大きな獅噛や鳥などの細かな細工の彫刻も特徴のひとつ。
毎年、5月3日と5月第2日曜日の「灘のだんじり祭り」が巡行日。
上野地車は昭和7年購入で、彫刻は大部分が井波の名工川原啓秀作、飾り幕は前が珠取り夫婦龍、見送りが大江山鬼退治で当時人間国宝並みと称せられた幕師梶内近一作で当地区自慢の逸品です。
高度成長期には交通事情の激変、曳き手不足等で曵行が中断し解体され小学校の地下室等に保管されていた期間がありましたが、平成3年に地元有志が近隣地区の力添えを得て自分達の手で復活させ、平成27年には大改修を施し生まれ変わりました。
私たち新在家地区の地車は、江戸時代後期から曳行されていたと伝えられています。その後、途中中断を挟みながらも曳行が続けられていましたが、平成7年の阪神淡路大震災により被災し、現在の地車は平成23年に購入されたもので、同年より曳行が再開され、年々活気を取り戻しつつあります。
新在家は酒どころとして全国に名を知られる灘五郷のうちの「西郷」に含まれ、日本を代表する酒造メーカーや神戸製鋼所などが軒を連ねています。
2代目である現地車は、東灘の呉田區よりだんじりを購入し、地域の宝として平成24年より巡行を行なっています。会員数も現在では70人を超える大所帯となりましたが、会員一同気持ちを一つにし毎年「最高の祭を」を合言葉に巡行しています。
これからも現地車と畑原の祭りを後世に継承できる様に頑張りますので、ご支援とご協力を宜しくお願い致します!